今回も化学業界の話題として 「ケミカルプロセスの安全」について取り上げます。関連する書籍やウェブサイトなども多々有りますが、CCPS, Center for Chemical Process Safety が公開している "Process Safety Beacon" をご紹介します。また、それに関連して 化学工学会の関連団体 SCE・Net が公開している PSB和訳版と安全談話室についてもご紹介します。
ケミカルプロセスは取り扱う原料や製品自体が危険物・毒劇物である事が多く、また反応によって化合物を合成させるプロセスにおいては、場合によっては暴走反応の危険性が有ります。このような産業やプラントは普通は無いですよね。建設工事現場でクレーンが倒れるとか言う事故はたまには聞きますが、例えば自動車工場が爆発炎上したと言う話はまず聞きませんね。
極めて危険な化合物と言えば爆発物であり、最もよく知られているもののと言えば 「ダイナマイト」でしょうか。ノーベル賞の創設者でもある アルフレッド・ノーベルがニトログリセリンの製造を開始したのが1864年で、反応器の温度を20~25度に保ち グリセリンに発煙硝酸と硫酸を添加すると言うバッチプロセスでした。
以下の画像は当初の製造プロセスですが、運転員は温度を監視しており上がりすぎると添加を停止する事で反応を調節していたとの事です。で、注目すべきは運転員が座っている椅子で "One - legged stool" と記載されています。何故 1本脚の椅子なのかと言うと運転員が居眠りしないようにする為だそうです・・・。画像ではそこそこ大きな反応容器ですが、ここにニトログリセリンがガッツリ入っていると考えると恐怖しか無いですね。その後、もっと小さな流通式の反応器に変更されたそうです (より大きな冷却能力を有するって事ですね)。
https://www.nobelprize.org/alfred-nobel/alfred-nobel-in-scotland/
Process Safety Beacon
✔ 概要
Process Safety Beacon (以下 PSB) は CCPS , Center for Chemical Process Safety が毎月公開している安全に関する資料で、さまざまな事故事例や安全についての注意事項を取り上げて解説しています。文書中にはリンクが埋め込まれている場合もあって、事故に関連する報告書や動画を閲覧する事も出来ます。第1回目は 2001年 11月ですので、もう20年以上もずーっと継続して公開されているんですね。
基本 誰でも閲覧可能で PDF ファイルをダウンロード可能です。しかも、何と 34の言語に翻訳されてます。原版は英語でしょうけど、翻訳版としては日本語や韓国語、中国語はもちろん有りますし、ちょっと見慣れない言語では テルグ語が有りますね。どこの言葉かなとネットで調べてみるとインド南東部の州の公用語のようですね。
分量的には A4 1ページなのでサクッと読めますね。事故事例とかであれば、公式の事故調査報告書へのリンクが埋め込まれていたりするので そちらにあたって見るとより詳細な内容について見る事が出来たりするので便利です。
で、例えば直近 1年間の PSB テーマは以下のとおりです。英語名とその和訳を併記しています。和文名は SCE・Net の翻訳によるものです。SCE・Net については後述します。
February, 2023 People are a critical part of safe operations 安全操業に人は欠かせない!
January, 2023 Effects from changes may take years to appear 変更の影響が何年も後に出て来ることも!
December, 2022 Take safety home for the holidays 年末年始は安全を家に持ち帰ろう
November, 2022 Idle Does Not Mean Safe 稼働待機中でも安全だとは言えない
October, 2022 Communication – the heart of safe operations コミュニケーション、それが安全な運転の心髄
September, 2022 Lightning Strikes – YIKES!! 落雷だ ワァー!!
August, 2022 What’s an Acceptable LEL Detector Reading? ガス検知器の値はどこまで許容される?
July, 2022 Manage Temporary Changes – Including Clamps! 一時的な変更を管理せよ!クランプ補修なども
June, 2022 Some mistakes take time to become incidents 間違いは時間がたってから事故になるかも
May, 2022 “ What happens if ?” An important question for hazard reviews 「もし~したらどうなるか?」ハザードレビューの重要な質問
✔ 2018年 11月 Accumulation of small changes leads to an explosion
PSB の一例として 「2018年 11月 小さな変更の積み重ねが爆発につながる」 をご紹介します。これは、2012年 9月に発生した日本触媒 姫路工場での アクリル酸 中間タンクの爆発事故に関するものです。この事故では死亡者 1名、負傷者 36名と人的被害が出ています。また、タンクや周辺の設備も大きく破壊されています。不幸中の幸いは工場近隣には被害が出なかった事でしょうか。
事故の原因は以下のように整理されています。ちょっとした変更点の積み重ねが最終的に大規模事故につながったと言う事でしょうか。スチームジャケット配管への変更、タンク頂部への液リサイクルの停止、タンク温度計の未設置が見逃された変更点ですね。また、二量化反応は重合禁止剤によっては停止されない、と言う知見が不明であった事は事故の遠因でしょうか。
- 設置当初、タンクへの供給配管は凍結や析出防止のため温水のジャケット配管であったが、スチームジャケット配管に変更された。
- 温調トラップを取り外したため、温度制御の信頼性がなくなった。
- 上層部分は温度の低いAAと混合されず、流入するAAで温度が高いままであった。
- AAには発熱反応として二量化と重合の二つの反応がある。重合禁止剤は二量化反応を止めることができない。二量化反応の熱により、重合反応(暴走反応)を開始するのに十分な液温度にまで上昇することが実験により確かめられた。
- 二量化反応による熱の危険性が認識されていなかった。
- タンクには温度計がなかった。タンクのトップベントから出るAA の蒸気を見て初めて事故に気付いた。
AAタンク周りのプロセスフローは下図のとおりです。精製塔からの AA はこの中間タンク V-3138 70[m3] 内径 4.2[m] 全高 5.6[m] に一旦貯留されて 適宜 回収塔へと移送されます。それまでは、タンクへの貯留量も少なかったので 設置済みの冷却コイルで十分冷却出来ていました。一応、タンクリサイクル配管もあってタンク側壁の液面計ノズルを経由して液をリサイクルしていました。リサイクルする事によって液が強制的に流動し冷却コイルにおける伝熱が促進されますね。
で、事故発生時には貯留量が 60[m3] と多かったのにも関わらず リサイクルはこれまでどおり 液面計ノズルからだったので タンク上部の貯留AA については 冷却が十分に効きませんでした。タンク頂部へのリサイクルが出来ていれば あるいは暴走反応は避けられたかも知れません。
と言った内容がまとめられているのが PSB となります。
SCE・Net 安全談話室
まあ、PSB 単体を読むだけでも十分 知見が得られるとは思いますが、イマイチ良く分からないとかが有れば、SCE・Net の安全談話室が役に立ちますね。SCE・Net は シニアケミカルエンジニア・ネットで化学工学会の関連団体になるんでしょうか。で、公式サイトには 「安全談話室」のページが有り、毎月のPSBについての解説を公開しています。
https://sce-net.jp/main/group/anzen/anzen_danwa/
そもそも、PSB の和訳版は SCE・Net が実施しているようです。で、安全談話室ですが SCE・Net 安全研究会のメンバーが座談会方式で 意見交換した内容を A4 数ページの分量にまとめてあります。まあ、メンバーの方々はベテランのシニアケミカルエンジニアなので多様な知識・知見がありますので 読むといろいろとタメになりますね。こちらも 2001年 11月からずーっと続いていますね。
直近 2023年4月の PSB は 「吊り上げ作業の危険性」ですが、ヨルダン アカバ港での 塩素タンク落下事故について解説しています。事故発生時の様子を録画した監視カメラ動画を Youtube で見ることが出来ますが、塩素ガス特有の黄色いガスがISOタンク落下位置周辺にブワーッと放出される様子が分かります。死者 13名、負傷者 300名以上の大規模な事故ですが、直接の原因は ISOタンク重量が吊り上げケーブル耐荷重の3倍だった事とされています・・・。
安全談話室では、この PSB について 参加者の体験・経験したヒヤリハット事例や事故事例などが紹介されており、これまたタメになりますね。玉掛作業や吊り上げ作業は本来危険であり、注意に注意を重ねる必要が有りますね。会社に入った当初、クレーンのブームに「吊り荷の下に入るな!」とか「角は刃物と同じ!」 とか大書して有って、そんなに危険なのかな~とか思ってましたが、実際に事故事例を見たりすると 納得ですね。21世紀の令和の時代になっても 今だに同様の事故を報道などで見たりしますし。
まとめ
まあ、まとめる内容も無いんですが ケミカルプロセスに限らず安全第一、安全最優先ですよね。とは言っても、自分が経験できる内容ってのは限られているので PSB や安全談話室などから情報を取り込んで 安全に対する感性や感度を上げる必要があるのかな~と思います。
ケミカルに限らず産業分野ではやれ DX だ AI だとか言ってますが、特に現場においてはヒトの存在は必須ですし、そうなると安全についてはこれまで同様かそれ以上に重要になるかと思います。 まあ、映画とかにあるようにヒト型ロボットとかアンドロイドが作業を全部やるようになれば また違うんでしょうが、ここ十年で取って代わるってのは無いのかなと。今から半世紀も前の私が小学生だった時分は 21世紀はそんな夢のような未来になるんだよと言われてましたけど、今だに空飛ぶ自動車とかは無いですし、家事用ロボットとかも無いですしね。
参考文献
- 「PSB 2023年4月 吊り上げ作業の危険性」 Process Safety Beacon, CCPS
- 「安全談話室 No.202 吊り上げ作業の危険性」 SCE・Net 安全研究会
Web Site
- ノーベル財団 https://www.nobelprize.org/alfred-nobel/alfred-nobel-in-scotland/
- Center for Chemical Process Safety https://www.aiche.org/ccps
- Process Safety Beacon https://www.aiche.org/ccps/process-safety-beacon
- SCE・Net 安全談話室 https://sce-net.jp/main/group/anzen/anzen_danwa/
居眠り防止の' One-legged Stool' !! 安全対策として、感動ものですね!
返信削除まあ、当時は人間が各種のセンサーでありかつ調節弁でありって感じなんで、居眠りが最大の脅威だったんでしょうかね (^_^)
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