今回は趣向を変え 「化学・化学業界の話題」として 安全について取り上げます。経緯について少し触れますが、このブログのネタ探しも兼ねて Chemical & Engineering News , C&EN のサイトをちょくちょく見に行っています。で、このサイトはアメリカ化学会 American Chemical Society, ACS によって運営されています。
C&EN サイト : https://cen.acs.org/
先日このサイトを訪問すると「40年が経ち ボパールはまだ危機に瀕している」と言う記事が掲載されていました。原題は "40 years later, Bhopal is still in crisis" ですね。この化学産業史上 最大・最悪の災害が発生したのが 1984年12月なので もう40年が経過しているんですね。ですが、記事を (翻訳して) 読んでみると まだまだ完全な回復と言うか復旧には至っていないようです・・・。
エンジニアとして関わっていたポリマープラントにおいても、定常運転していたプラントが停電すれば 30分もしないで 反応器 内部の温度・圧力が急上昇します。最悪、安全弁が作動して反応器内容物が噴出します。この時 全く何も対策されていなければ、何らかの着火源によって噴出物が炎上・爆発します。このような破局的な状況では物的・人的な被害は避けられませんね・・・。自動車とか機械部品とか様々な製造業が有りますが、不具合によってプラントが爆発するってのはケミカル分野くらいしか無いように思います。まあ、可燃物とか毒劇物を大量に取り扱っているのでそうなりますが。しかし、21世紀になって四半世紀以上が経ちますが、今だに化学産業における事故や災害は根絶されませんね。
と言う事で、この「ボパールの悲劇」について取り上げてみたいと思います。
ボパールの悲劇とは? What is the Bhopal tragedy?
✔ 事故の概要 Accident Summary
事故が起きたのは インド マディヤ プラデシュ州 ボパール (ボーパールとしている場合も有り) です。ニューデリー New Delhi からだと真南へ 500 [km] くらい、インド西海岸の大都市 ムンバイ Mumbai からは北東へ 650 [km] くらいでしょうか。因みに タージマハルで有名な アーグラ Agra からだと 450 [km] くらいです。インド亜大陸の中部となりますね。
1984年 12月2日 夜半、殺虫剤製造プラントから イソシアン酸メチル Methyl Isocyanate, MIC 40 [ton] が漏洩し周辺地域に移流・拡散しました。人的な被害として 死者は少なくとも 3,000人、負傷者は 数万~数十万人とされています。漏洩した MIC ですが、引火性の高い液体・蒸気で、毒性が高く 液体を経口摂取したり 蒸気を吸引すると 喘息・呼吸困難を引き起こします。更に皮膚に触れるとアレルギー性皮膚反応を引き起こすとされています。加えて、遺伝情報や胎児にも影響を及ぼすとされています。
そんな危険な MIC が何故漏洩するに至ったのか?ですが、直接の原因は貯蔵タンクの安全弁が作動した為です。で、プラントには除害設備である ガススクラバーやフレアスタックが設置されていましたが使用出来ませんでした・・・。また、そもそも 貯蔵タンクの温度が上昇する原因となったのが MIC の重合反応 (三量体生成) です。下記の発熱反応となりますが、酸化鉄が触媒となります。
✔ 主な事故要因 Main Causes of Accidents
- 反応進行を警告すべき圧力計と高温警報機が作動していなかった
- MIC 冷却用の冷凍システムが停止されていた
- MIC タンク 安全弁の噴出先であるベントガススクラバーは停止されていた
- スクラバー下流のフレアスタックは修理中で使用出来なかった
- 放散された MIC 蒸気を吸収する為の放水は届かなかった
✔ MIC 貯蔵工程 MIC Storage Section
で、当然 MIC の受払いによってタンク気相部容積が変化するので、この調圧系によって内圧を一定にします。で、MIC 受け入れ時には MIC 蒸気を含むベントガスが発生するので、これをベントガススクラバーで処理します。このスクラバーには苛性ソーダがポンプ循環されています。で、スクラバーからの排ガスはノックアウトドラムを経由し、最終的にはフレアスタックで燃焼処理されます。また、MIC 貯蔵タンクで暴走反応が発生しタンク内温度と圧力が上昇した場合、ラプチャーディスクと安全弁が作動します。その際の噴出ガスは 通常のプロセスベントヘッダー配管とは別に設置されている リリーフバルブベントヘッダー配管を通過して、スクラバーに流入するようになっています。
このように除害設備であるスクラバーや最後の砦としてのフレアスタックなどが設置されていますが、前述のとおり スクラバーは あえて停止されており、かつフレアスタックは修理中で使用不能でした。そして、タンクには圧力計や温度計が設置はされていましたが、作動はしていませんでした。更に、MIC を冷却するための冷凍機も同じく停止されていました。こうしてみると、ほとんど何の安全上の対策がなされないまま プラントの運転が実施されている事になります。全く信じられない状況です・・・。
また、MIC の物性についても見ておきます。安全弁が関連するので蒸気圧が重要ですね。温度に対して 蒸気圧をプロットしてみると下図のとおりです。まあ、標準沸点 温度が 39 [℃] くらいなんで、可能な限り低温に維持すべきですね。
✔ その他の項目 other items
- ボパール事故現場の現状ですが、Google Earth で確認してみると 跡地にはいくつか建物の残骸も見て取れますが、一帯は空き地と言うか更地になっています。ざっと面積を測定してみると 周囲は 2.5 [km] くらいで面積は 0.3 [km2] くらいでしょうか。その周りには道路や鉄道、住宅などが広がってはいますけども。参考書籍にならって Google Earth の画像に発災現場からの距離を描いてみると下図のようになります。風下直下では MIC 濃度 50 [ppm] 、数キロ離れた地点でも 15 [ppm] に到達していたようです。しかも発災時は夜中でしたから、近隣住民は就寝中に高濃度の MIC 蒸気に暴露された事になります・・・。
重要な教訓 Important Lessons
✔ プロセス安全文化 Process Safety Culture
この事故を起こした企業は ユニオン・カーバイド Union Carbide Corporation, UCC ですね。まあ、名門化学企業ですが創業は 1898年で 元号で言えば 明治31年となりますね。ポリスチレンプラントも持ってたりして、古い特許なんかも見たことが有りますね。で、1984年にこのボパール事故を起こしました。そして、2001年 ダウ・ケミカルに買収されました。ダウ・ケミカル自体もデュポン社との合併、そしてその後の分社化によってダウ・ケミカルとして存続しており、UCC はそのダウケミカルの100% 子会社となっています。UCC は独自のホームページも有りますが、ボパール事故に関するページも含まれていますね。
化学企業に限らず 欧米企業は「ちゃんとしてる」と言う先入観と言うか、そう言ったものがありますが、そうじゃない負の部分ってのもあるのかな~と思いますね。特に このような事故について見てみると。
✔ ハザードの特定とリスク分析 Hazard Identification and Risk Assessment, HIRA
MIC は殺虫剤の原料ですが、ボパールプラントには 15,000 ガロン 、57 [m3] の MIC 貯蔵タンクが3基有りました。 原料タンクや中間タンクの容量は大きめの方が何かと便利なのは事実ですね。原料タンクで言えば、受け入れの頻度が減るのでその分手間が省けます。中間タンクにしても、「とりあえずタンクに入れとけ!」って感じですよね。これがさほど容量の大きくない中間タンクだと、「こっちのタンクはもう満タンなんで、とりあえず下工程の別のタンクに移送して・・・」とか何かと手間がかかり面倒です。
なんですが、大量に貯蔵すると言う事はそれ自体がリスクですね。特に MIC のような物質においては発災した場合のリスクは甚大です。なので、潜在的に危険な物質を貯蔵する場合においては、単に運転スケジュール等などから貯蔵量やタンク容量を決定するのでは無く、HIRA によって貯蔵する事の危険性を評価するべきとされています。この点については、「あ~そうなんだよな~」と思いますね。例えば、ほっといてもジワジワ反応が進行して発熱する物質については、貯蔵時における限界重量と言うか容量が有りますね。どれくらいの容量に限界が有るのかは、反応速度の温度依存性も重要ですが 単位体積当たりの放熱面積の比率 (A/Vと呼ばれます)も重要ですね。簡単に言えば、小分けした小さい容器では熱がこもりにくいのでそれほど危険では無いですね。これがそこそこ大きな容器となると内部に熱がこもりますね。そうすると自己加熱により雪だるま式に温度が上昇して沸点に到達すると沸騰します。沸騰では発熱量の全てが蒸発に使用されるので大量の蒸気が発生する事になり、それが可燃性であれば着火・炎上しますし、毒性が有る場合には人的被害の発生が懸念されますね。内液を撹拌するとか、ジャケット等で積極的に冷却するシステムが無い場合などは注意が必要です。別の例では 石炭の自然発火などでも同じですね。
✔ 変更管理 Management of Change, MOC
貯蔵量について言えば、発災時の MIC 貯蔵タンクの液量は E-610で 40 [ton] 、E-611 では 15 [ton] 、E-619 は空っぽとの事です。よりによって最も液量の大きい E-610 において発災してしまいました。これが、特定のタンクに貯蔵量が偏らないようにしておけば、あるいはこれほどまでの被害にはならなかったのかも知れません。ただ、やはりその都度 配管を切り替えるとか、複数ポンプで起動・停止を繰り返すってのは基本的に面倒ですよね。まあ、そういった手間を怠った事が事故発生の遠因となっている訳なんですが。
まとめ Wrap-Up
このような重大事故の発生を受けて 各国において関連する法整備など様々に対応していますが、同じ様な重大事故はその後も発生しています。米国化学物質安全性・有害性調査委員会 U.S. Chemical Safety and Hazard Investigation Board, CSB のサイトで検索してみると2024年にも大規模爆発事故は複数件起きていますし、死者も出ているようです。
日本にも リレーショナル化学災害データベース RISCAD のサイトが有って、化学災害について調べる事が可能です。まあ、日本に住んでいれば 大規模事故・災害については一般のニュースでも見聞きする事も可能ですけど。また、過去の事故・災害については例えば 日本失敗学会の失敗知識データベースでも知る事が出来ますね。
いずれにしても、化学産業やケミカルプラントにおける事故・災害はその影響が甚大でずっと後世にまで影響を与える危険性も大きいですね。設計者やエンジニアとしてプラント設計に携わるのであれば、プロジェクトの早い時期に出来得る限りの検討をしておくべきですね。後になってから、「やっぱこれはダメだ」となっても やり直すのに非常に大きな手間とコストが必要になります。まあ、頭では分かってはいますが、実際にそれをするのはすごく大変ですね。
参考書籍・文献 References
- 「若い技術者のためのプロセス安全入門」 丸善 2018年刊
- 「化学プラントの安全化を考える」 化学工業日報社 2014年刊
- "Process Safety Beacon" 日本語版 ボパールの悲劇 25年前 2009年12月
- "Loss Prevention Bulletin" Issue 240 December 2014
英国化学工学会 Institution of Chemical Engineers
web site
- "40 years later, Bhopal is still in crisis" Chemical & Engineering News
https://cen.acs.org/ - "産業保安ポータルサイト"
https://riss.aist.go.jp/sanpo/ - "失敗知識データベース" 失敗学会
https://www.shippai.org/fkd/index.php - "米国化学物質安全性・有害性調査委員会"
https://www.csb.gov/
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